優生思想

昔、中学の時の授業で社会の先生が言ってた。

「エジプトの遺跡で、最近の若者は……みたいな若者を批判する内容が書いてある。今もそう言う風に言う人はいるから、人間は昔からそう変わらない」って。

これはエジプトの話で、何千年も前の人間が残した記録。

そう考えると国が違えど、時代が違えど人間の心理的、本能的な部分は共通する部分もあるのだろう。

きっと親心なんかもその部類に入るだろう。

 

そういう意味では、アウシュビッツの惨劇に関しても置かれた立場や環境によっては僕は加害者になりえた思う。

アウシュビッツで残酷で残忍な人間ばかりが加担していたわけではないはずだ。

むしろ多くの普通の人間が加担していたことが人間の怖さなんだと思う。

 

優生思想の発想はプラトンまで遡るこやとができるそうだ。

 

このご時世優生思想を扱うことは特に難しい。

言葉尻をつつかれ炎上なんかは心労によくない。

もともと個人の生命観、人間観、人間性に深く関係する事柄だ。

ある種、宗教的な話ともなりえる。

 

話は急に変わるが例えば、僕は梨が好きだ。

多くの人はただ「あなたは梨が好きなんですね」となるだろう。

ただの意見として受け入れられると思う。

これが阪神ファンに変わると巨人ファンの人はどう思うか?

自分の嗜好や思考が違うと争いの火種となりえる。

 

人の目を気にせず、善悪の価値判断は置いておいて自分の感情に素直になってみると子どもは元気に生まれきて欲しい。

僕は子どもが元気に育って欲しいって願うことは優生思想ではないと思う。

病気を嫌悪することと、病人を嫌悪することは違う。

病気や障害を持って生まれてくることが不幸には直結しないことは頭では分かる。

ただ、感情としては子どもが元気に生まれきてくれることを願わずにはいられない。

 

もしかしたら、女性の方が元気な赤ちゃんを産まないといけないって言う無意識の社会的なプレッシャーなんかは強いかもしれない。

そういう社会はどうかとも思うのだが。