心配と愛情は表裏一体?

嫁のお腹の張りがひどく、茶オリも多かったため検診の予定はなかったが急遽、病院へ。

僕の心臓の鼓動も一気に早くなる。

 

診断結果は赤ちゃんが無事に動いていて、一安心。

(実はこの内容は診断結果を待たずに書いている。

 僕に出来ることは何もない。

 神頼みも裏切られた体験がある。

 だからといって、携帯ゲームをしていてバチが当たるのも恐い。

 何も出来ることはないが、何かをしていないと落ち着かない。

 だから、望む未来が現実になった時のように書いている。

 僕が目標達成する時によく使う手だが、無力なことも分かっている。

 今、祈るように文章を書いている。)

祈りが届いたのか、赤ちゃんの心臓は無事動いていた。

(これは診断後に書いた文章。)

 

子どもを持つってのは心配の連続なんだと思う。

ただ、自分のことばかり考えていた思春期の頃に比べて成長したと思う。

恋すると相手の目を気になってしまう。

結局、自己中な僕は相手の目から見た“自分”を気にしていたようにも思う。

それが今では赤ちゃんの心配をして一喜一憂している自分がいる。

僕の場合は心配し過ぎかもしれないが、これが愛情なのだろうか。

僕の親も僕が産まれる時はこんなに心配したんだろうか?

 

妊娠が分かってから嫁はお腹をさする行為をよくとるようになった。

僕も嫁のお腹を触るのが習慣になっている。

もしかしたら、これは全人類、それこれ人類が誕生してから共通する行為なのではないだろうかと思う。