当たり前のすり合わせ

結婚生活って自分の育ってきた生活環境が反映される。

そこで、自分の中に内在化された当たり前に気づかされる瞬間がある。

 

結婚して、嫁の作る料理の品数多さに驚いた。

彼女の家ではそれが、当たり前だったのだろう。

僕の家に比べるとそれは多いものだった。

お互いの当たり前が違う。基準が違う。

彼女の当たり前は、僕にとっては特別なもの。

 

嫁は、休み日は昼近くまで寝て過ごす。

僕は平日も休日もほぼ同じ時間に起きるのが普通だが、僕の母もそうだったから女の人はそういう生き物だと思っている。

 

自分にとっての当たり前は、相手にとって非常識だったり、ストレスになることもあるだろう。

育った生活環境の違い。

男と女という決定的な性別の違い。

 

その“違い”を面白いと思えるか?

そこから新しい価値、生活習慣を作れるか?

それが結婚生活の面白さなのではないだろうか。

 

僕は幼少、青年期をあまりいい環境で育ったとは言えない。

それでも、嫌いだったあの頃の生活が当たり前の基準となっているとは思う。

だから、自分の生活基準を簡単に手放すことができた。

むしろ、捨てたいものだった。結婚は自分を変えるきっかけになりえるものだった。

 

もしかしたら、恩師の言葉の影響もあるかもしれない。

昔、大学の講義で恩師が言っていた。

「結婚生活では、妥協できるところはすべて妥協したらいい」

どういう話の流れでそのような話になったかは一切覚えていない。

講義の内容よりも、そう言った余談が今も頭に残っている。

 

結婚生活は当たり前のぶつかり合いだと思う。

そこから2人の生活をどう作っていくかが結婚するということだと思う。