水子供養へ

水子供養に行ってきた。

 

嫁も少しずつ精神的に落ち着きを取り戻してきたように見える。

それとも気丈に振る舞っているだけか?

 

水子供養では、住職の話を聞きながら、何となく宗教に傾倒していく心理が分かるような気がした。

僕も心が弱っていたようだ。

 

死んだら人はどこに逝くのか?

 

僕は無宗教で死後の世界はないと思っている。

死ねば“無”に帰えるという死生観だ。

でも、もし天国や地獄があるのなら赤ちゃんは天国に逝って欲しい。

もし今、お金で何とかなるとか言われたら、お金を積んでいたかもしれない。

それくらいの事しかできないし、空いた心の穴を埋めるため、より深い穴に入りたいような自暴自棄な感じだった。

昔の人は、今より分からないことだらけで、宗教にすがるしかなかったんだろうなぁとか、色々なこと思いを馳せ、色々なことを考えた。

 

宗教の目的が“救済”であるなら、僕は救われたかったんだと思う。

 

寿命を全うした人間が死ぬのと、子どもや赤ちゃんが亡くなるのでは心の辛さが全然違うと思う。

子宝という言葉があるが、子どもは本当に宝だと思う。

 

帰宅の道中で、彼女は「また赤ちゃんが帰ってきてくれるような気がする」って言った。

男の僕には分からない身体感覚だと興味深かった。

赤ちゃんが来てくれるなどの表現もあるから、それと同じようなものなのか。

医学的なことは頭で理解しているが、それとは別に精神的な部分でそう思うことでまた頑張れるらしい。

 

赤ちゃん、名前もつけてなかったけど、戒名も何もないけれど、無事に生まれてきて欲しかったなぁ……。