子どもが欲しい理由

あと妊活できる期間は半年ぐらい。

チャンスは6回ほど。

 

そもそもなぜ僕は子どもを望むのか?

3つぐらい心当たりがあるように思う。 

 

好奇心、本能、漠然とした夢の3つだ。

 

まず、好奇心というのは自分の子がどんな感じか見てみたいという好奇心。

そして、育ててみたい。

その時にどういう感情になるのか知りたい。

 

本能ってのは子孫繁栄ってことで、動物的な本能のこと。

子ども欲しいスイッチが入った仕事の帰宅時には「何で……子どもがいないだろう……」さいなまれることがある。

 

漠然とした夢ってのは、物心ついた頃から、結婚して子どもを育てたいと自分が大人でもない頃から漠然とそう思っていた。

いつ頃からか、嫁がいて、子どもがいて……晴れた日にはピクニックにでも行く。

そんな幸せな光景を勝手に描いていた。

 

 

結局、僕が子どもが欲しい大きな理由は好奇心からというのが一番大きな部分だと内観できる。

僕にとって子どもは“オモチャ”のような存在なのかもしれない。

もちろん、オモチャという言葉は女性にとっては違和感を感じるものだとは思う。

それでも僕にとって子どもに対しての興味、関心は非常に大きいものだ。

 

もし、あなたが子どもを望むなら……

それはなぜですか?

隣の家族は色々だ

嫁と生活するようになって、夜ご飯の時にテレビドラマを見るのが日課となった。

フジテレビで放送していた『隣の家族は青く見える』というドラマがある。

印象的なシーンと台詞があったので紹介したい。

 

深田恭子演じる五十嵐奈々が妊娠後、流産するシーンがあった。

ほのぼのとしたドラマだと思って安心して見ていたので衝撃的だった。

内心、この手のドラマは出産してハッピーエンドだと高を括っていた。

流産後、申し訳なさからか松山ケンイチ演じる旦那の大器に別れようと伝える。

 

「なんで?」

「治療を続けていく自信がなくなったの」

「辞めればいいじゃん」

「治療を辞めるってことは、大ちゃんに赤ちゃんを抱かせてあげられないってことだよ。そしたら私はもう一緒にいる意味がないから」

「いやいや、そんな待ってよ」

「今ならまだ間に合う。まだ別の人とやり直せる」

「はい?」

「別の人とならすんなり赤ちゃんが出来るかもしれない」

「本気で言ってるのそれ?」

「奈々が今辛いの分かるよ。分かるけど、言っていいことと悪いことってあるでしょ。奈々と別れて、別の人と再婚して、子ども出来て、俺がそれで本当に幸せになれると思ってるの?」

(浜辺で遊ぶ子どもを見て)

「2人とも子どもがいない未来を描けていなかった」

「未来は今、空っぽ。何にもない。赤ちゃんと一緒に消えちゃった。」

 

嫁も流産後にそれに近いことを言っていた。

ドラマと違って別居とはならなかったが、流産後の女性の心理は共通するものがあるのかもしれない。

 

赤ちゃんに限らず、何かを強く欲する。

もしもその時、望んだ結果が手に入らなかった場合、心のダメージは相当なものとなる。

その対象に対してエネルギーを費やした時間、努力、気持ちが大きければ大きいほど失望は大きくなる。

努力しなければ良かったとすら思えてくる。

叶わなかった時のことを少し想像して、考えておくことかも大事なことかもしれない。

 

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【子どもを授かるかどうかによって今後の人生は大きく変わる】

億ション買います?!

億ションとは、高価格な分譲マンションのこと。

マンションを“万ション”と読み、それよりランクアップの“億ション”と言うわけだ。

現実的に購入できる人はほんの一握りだろう。

 

もしも、僕が周りの友人や家族に「億ション買いたいなぁ〜!」って言ったのなら、大丈夫か?って心配されると思う。

もしかしたら、白い目で見られるかもしれない。

 

一方で、「結婚したら、専業主婦になりたい!」って言う女性もいると思う。

出産前後は働きたくても働けない。

だから、専業主婦になれるくらいの甲斐性のある異性を求めることは当然、理解できる。

また、今の日本は育児環境で専業主婦を選択せざる得ない環境にあるとも思う。

ただ、結婚したら専業主婦ってのは結構お高い理想だと感じる。

 

億ションを買おうとすることと、専業主婦希望は同じだよなぁと思う。

 

だって億ションで消費することと、働いていたら稼げていた生涯賃金を得ない選択はお金の観点だけで見れば同じだ。

稼いだ1000円も、商品を購入せずに浮いた1000円も同じ1000円だからだ。

 

とはいえ、嫁を見ていて専業主婦は大変そうに見える。

ご飯を食べ終わって、「夜ご飯何作ろう…」とか「明日のお弁当どうしよう…」とかを聞いてる大変そうだと感服する。

作る料理を決めて食材を買う僕と違って、安い食材を買って作る料理を作る嫁には頭が下がる。

制約のある中で、工夫してやりくりする専業主婦は凄い。

 

ただ、お金は貯まる時にしか貯まらない。

貯金できるうちに貯金しておくのが賢明だと思う。

働けるうちに、働いてお金を貯めておくのが賢明だと考える。

 

この御時世、嫁が働かなくても生活できる人は一握りかもしれない。

そのくらい甲斐性のある男になりたいものです。

亭主関白のすすめ

転職活動していたため、久しぶりのブログ更新となる。

転職先は決まったが、年収が下がってしまいそうだ。

ただ、僕が強く志望していた会社であったこと、将来のことなどを踏まえて嫁も渋々、理解してくれた。

 

振り返れば、今年に入って嫁が専業主婦となったことに甘え、料理や家事をしない亭主関白な旦那だったように思える。

亭主関白と言うと、世間一般のイメージは良くないものだろう。

 

ただ、言葉の意味を歴史的観点から紐解けば違った印象となる。

 

 

実を言うと世間は、亭主関白の本来の意味を長い間、取り違えていた。大体、関白を一番エライと思っているのはが大間違い。歴史を紐解けば、誰もが腑に落ちるだろう。

関白は天皇に次ぐ2番目の位なのだ。天皇を補佐し、たまーに具申するのが関白の仕事であった。そう、家庭内ではカミさんが天皇であるから、亭主関白といえど、妻を補佐するだけの役目、ということになる。

しかも、「亭主」の語源もそれを裏付けている。お茶をたしなむ人ならおわかりだろうが、茶を振る舞う側を亭主と呼び、亭主は、もてなす人という意味である。

つまり亭主関白とは、妻を補佐し、チヤホヤともてなす役目である、というのが正しい意味だったのだ。 

 

天野 周一(2007)『亭主力 夫婦円満、家庭円満の新!方程式』株式会社角川SSコミュニケーションズ

  

嫁はただでさえ、厳しい家計なのに収入を落としてどうするんだと不安に思っているだろう。

 

会社で例えると嫁は社長。家のことは任せているが直接働かず、財務状況を厳しく管理している。

僕は会社でも平社員だけれども、家庭での役割も平社員。

働き蜂のように働いてお金を稼いでくるわけだ。

亭主関白はそれは同じような感覚なのかもしれない。

 

これから蜜を沢山集められるよう頑張って働かないといけない。

それでも至らない所は、嫁を補佐し、チヤホヤともてなさないといけない。 

誕生日

ハッピーバスデー。

 

33歳。

随分、長く生きてこれた!

人間としてはまだまだ未熟だけれども、なんとか生活できている。

『寿命図鑑』によると、奈良時代の平均寿命が30歳前後。

縄文時代は15歳?!平均寿命が50歳を超えたのは戦後に入ってからのようだ)

そう考えると、“長く生きた〜!”と感慨深くなる。

 

近年でこそ、長生きするリスクや老後の不安が問題視されているように感じるが、歴史を見ると圧倒的に死のリスクの方が大きかったはずだ。

 

寿命の事を調べていて、面白いブログを見つけた。

歴史に対する洞察の深さ、説明の分かりやすさに引き込まれた。

 

庶民より圧倒的に恵まれた環境の将軍家ですら、生まれた子どもの半分は5歳までに死亡していました。

たとえば、12代将軍・徳川家慶(いえよし)

男女合わせて27人もの子どもがいましたが、成人まで生き残ったのはただ1人。のちの13代将軍である徳川家定のみです。将軍家ですらこれですから、庶民なんて推して知るべし。現代のように発達した医療や予防接種があるわけでもなかった江戸時代、ちょっとした風邪でも命取りだったわけです。

当時の感覚を知るこんな言葉があります。

 

「7歳までは神のうち」

乳幼児はあまりにもあっけなく死んでしまう。
数え年で7歳(満年齢6歳くらい)になって、ようやく人間社会の存在として数えましょう、ということです。

子どもの健やかな成長を祝うある行事が江戸時代に始まりました。
現代でも行われている行事。それは、

七五三

 

『江戸ガイド』マツイイチロウ

 

この時代に生まれてきた幸運、環境のお陰、人様のお陰様。

“生かされている”と表現する方が正しいと思う。

 

子どもを流産して感じていることがある。

健康で産まれてきたことが、どんなに有り難いことか。

今まで生きてこれたことが、どれほど有り難いことか。

産んでくれた親、育ててくれた親に感謝したい。

転職活動と生理

今、転職活動で志望会社を受けている。

 

現在、一次面接の結果待ち。

週末には連絡があるかもと期待していたけれど、連絡はなく。

それなりの手応えはあった……

でも、落ちたかも……

心がそれに囚われてしまっていて、情緒も安定しない。

昂ぶって寝付きも悪く、目覚めも早い。

全然、寝れていない。

 

自分の志望している会社で働けるかどうか?

その結果次第で今後の生き方は大きく変わる。

 

これから妊活に励む嫁も、そういう心境に近いものがあるかもしれない。

赤ちゃんを望む。

授かるかどうかによってこれから僕たち夫婦の生き方は大きく変わる。

 

望む対象が違うだけで、その結果によって今後の生き方が大きく変わる点は同じだ。

 

そう考えると、生理が訪れた時の落胆は大きものと想像できる。

志望していた会社から不合格の通知が来たのと同じこと。

 

妊活を始めたなら、今まで当たり前のように来ていた生理の意味合いが変わる。

男の僕は何も出来ないのだが、その辺の事は留意しないといけない。

男の友情

昔からの地元の友達がいる。

 

小・中と一緒で、高校はバラバラになっても、未だに付き合いのある友達。

 

その友達がいたから、変わり者の僕も何とか社会人として、まだまともにやってこれたように思う。

 

会うのは年に1回か2回。

皆んな変わらないなぁって安心するけど、自分が1年を振り返って……

「変わってないか?」

って問うと、それは変わっている。

 

それは皆んなも同じで変わっていくし、成長していると思う。

 

立派に親父やってるんだなぁって感心する。

 

集まる地元の友達は僕を含めて7人。

カップルの7人に1組は不妊に悩むと聞いたことがある。

統計的にグループに1人くらいはいてもおかしくはない計算になる。

それがたまたま僕だったってことだ。

 

友達に子どもができなくて悩んでいること、流産したことを話すべきではないと思っていた。

場が暗くなる。また、どう声掛けられても嫌な気分になると想像していた。

子どもがいる人には分からないって思っていた。

笑いに変えられても対応できないと不安だったけど、真剣に話を聞いてくれて有難う。

何の根拠もないけれど、「次できる」って言ってくれて不思議と嫌な気はしなかった。たぶん、本気で言ってくれてたから。

 

話して気が楽になることもある。

もちろん、逆に話さなければ良かったと思うことだってある。

今、半泣きで書いているけど、友達に感謝。