恋愛本能

恋愛には動物的な部分があると思う。

それは本能と呼べるものだと思う。

 

妙に腑に落ちた一文があったので紹介したい。

 

この年頃のぼくらは、自分が性的に成熟して、子孫を残すためのパートナーを探しているんだというメッセージを、化学物質に乗せてどんどんと自分のまわりに振りまいていた。受け取った人間は、本人が自覚するしないにかかわらず、それに応答してまた化学物質を放出する。それは無意識下で交わされる恋の伝言だった。

半径1m以内に閉じこめらてたぼくらは、誰よりも頻繁にこの化学物質を交換しあっていた。シャープペンシルで黒板の文字を写しているときも、眠気をこらえて教師の言葉を聞いているときも、ぼくらはこのささやかな通信手段によって、言葉を交わし合っていた。

(誰かいませんか? 恋の相手求めてます)

市川 拓司(2003年)『いま、会いにゆきます』株式会社 小学館

 

無意識下で交わされる恋の伝言。

化学物質を発しているとか、受け取った覚えもないが、この文章には、そうかもしれないと思わせる力強さがある。

確かに、思春期の頃は恋人を求め、誰かいませんか?と心の中で叫んでいたと思う。

それが見た目やファッションに気をつかいだしたきっかけになっていた。

 

学生時代、授業中に無闇に眠たかったのも本能だと思うが、ノートを取りながらも恋の化学物質みたいものが出ていたのかもしれない。

 

結局、恋するってことは突き詰めると根底には動物的な部分があると思う。

恋に落ちるって表現はぴったり。

りんごが木から落ちる時、重力にはあがなえない。

恋に落ちると不思議なもので、勝手にドキドキと高揚したり、反対に不安になったりするもの。

素敵なことだと思います。

恋愛方程式

恋愛色彩理論を始めて知った時は感動した。

人それぞれの恋愛を数学のように抽象化させ、分類分けに成功。

これを提唱した人は恋愛の方程式を解いた!!みたいな感じだったのではないだろうか。

 

方程式と言えば、ドレイクの方程式というのをご存知だろうか?

別名、宇宙文明方程式。

この方程式は、宇宙にどれくらい地球外文明がいるかを推算するための方程式だ。

 

この方程式を理想の異性に出会える確率を算出に応用したものがある。

 

知ってた!?「運命の人に出会える確率」は0.0000034% - NAVER まとめ

 

確率低くっっっ!!!

難しいことはよく分からないが、ドレイクの方程式でどういう係数を代入するかが問題となる。

例えば、生命が知的なレベルまで進化する確率はどのくらいなの確率か。

ドレイクの方程式を解くための1 つのパラメーターだが学者によって答えは一つではないと思う。

解を求める式が明確になっていても、1つ1つのパラメーターの解に確定的な正解はない。

 

同じように、恋愛も人によって異性に求める条件は違う。

ただ、相手に条件を求め過ぎると、理想ばかりが高くなって、理想の異性に出会える確率もどんどん下がっていくことだけは分かる。

 

愛したいか、愛されたいのか。

犬好きか。猫好きか。

インドアか。アウトドアか。

Sか。Mか。

 

パッと思いつく限りの二項対立。

単純に1/2に分かれると仮定して、たったこれだけの相性でも、ばっちり合うのは1/16の確率。

学生時代ならクラスで1人いるか、いないかの確率だ。

条件を付け足せば倍々に確率はドンドンと下がっていく。

ドレイクの方程式で導き出された理想の異性に出会える確率も真実味を帯びてくる。

 

すれ違うだけの人も多い。

沢山の人がいるなかで、出会って、恋に落ちる。

それは1つの奇跡なのかもしれない。

恋愛とはカラフルなもの

いきなりですが、あなたにとって愛ってなんですか? 

 

下記の6つの愛の定義(愛とは◯◯)では、どれがあなたの感覚と一番近いですか? 

愛とはゲーム →①へ

愛とは理想  →②へ

愛とは友情  →③へ

愛とは死   →④へ

愛とは現実  →⑤へ

愛とは意思  →⑥へ

 

質問を変えましょう。

どの詩に深く共感しますか? 

愛とは、さわりたくなる衝動である。往々にして皮膚は頭脳よりも多くを了解する。

(カールハインツ・デシュナー)  →①へ

男はみんな宇宙飛行士だ。金星(ヴィーナス)に着地することばかり夢見ている。

(カール・ファルカス)  →②へ

愛は、愛する人の成長と幸福を積極的に求めることである。

(エーリッヒ・フロム)  →③へ

嫉妬せざる者には恋愛はしえず。

アウグスティヌス)  →④へ

貧しさがやってくれば、愛は逃げ出す。

(ジョン・クラーク)  →⑤へ

愛は無限の許しの行為、習慣となった優しいまなざしである。

ピーター・ユスティノフ)  →⑥へ

  

 

前置きが長くなってしまったが、心理学者ジョン・アラン・リーが提唱した概念に恋愛色彩恋愛理論というものがある。

恋愛を6つのタイプに分類分けし、概念図としてまとめたものだ。

自分の愛の定義に近かった、もしくは、より共感した詩が自分の愛情の傾向だ。

以下に、6つの類型の特徴を示しておく(Wikipedia ラブスタイル類型論より抜粋)。

 

①ルダス(遊びの恋愛)

恋愛をゲームのように楽しみ、相手を次々に取り換えていこうとする。

相手に深く関わらず、複数の相手とも付き合うことができる。

交際相手に執着しないために、嫉妬や独占欲を示すことはあまりない。

 

②エロス(情熱的な愛)

恋愛の本質をロマンスと考える。

恋人の外見に強烈な反応を示し、強い一目惚れを起こす。

運命を感じやすく、ロマンチックな考えや行動をとる。

 

③ストルゲ(友情の恋愛)

長い時間をかけて愛が育まれ、長続きする関係を持つ。

友情のように穏やかで、親密さに基づいた恋愛をする。

恋愛に友情や仲間意識に近い感覚を持つ。

 

④マニア(偏執狂的な恋愛)

独占欲が強く嫉妬深い。

相手の愛情を何度でも確かめたがる。

体験する恋愛感情は強烈であり、快楽と苦痛が交互に現れる。

 

⑤プラグマ(実用的な恋愛)

計算高く、恋愛を自分の目的達成の手段だと考えている。

愛を望ましい属性の買い物リストのように感じる。

 

⑥アガペ(愛他的な恋愛)

自己犠牲的で相手に尽くすタイプの恋愛をする。

相手の利益を第一に考え、自らの犠牲をいとわない。

見返りを求めない献身的な愛。

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                   【色相環の図】 

彩恋愛理論では、色相環の位置関係も重要な意味を持っていると言われている。

隣同士の愛ほど、性質が似ており、一方で、反対側はお互いを理解することが困難とのこと。

(自分の愛の形が分からない場合は、嫌悪する愛の形の逆の方とも言える。)

 

これはどのタイプが理想的で、どのタイプが不正解という話ではない。

相手に尽くすタイプの恋愛をする人は、恋愛をゲームと考える人にとっては重く感じるであろうし、強烈な恋愛感情と友情のような恋愛感情ではお互いに理解しがたいとも思う。

また、ロマンチックな恋愛と実用的な恋愛も相反するものだ。

タイプに良い、悪いと言うことはなく、悪くなるのはお互いの関係だったりする。

つまり、合う、合わない、相手と自分の相性が良いか悪いかだ。

 

恋すると触りたくなる衝動に襲われたりするが、ロマンチックに決めたい時もある。

穏やかな愛が最上の愛だと感じることもあるが、嫉妬しない恋は存在しないとも思う。

結婚を視野に入れると打算的に考えてしまうことも必要かもしれないが、愛は与えるものでもある。

このように愛は丸かったり、尖ってたりする。

  

僕は恋愛色彩理論を知った時に愛の形ってのは色々あるんだなぁと理解した。

人それぞれ色んな愛の表現があるんだなぁと人間理解を深めた。

恋愛ってカラフルなものだと感じた。

出産予定日

順調に赤ちゃんが育っていれば、今日は出産予定日だった。

 

嫁は流産してから白髪が増えたと嘆く。

 

もし、無事産まれてきてくれいたら僕達夫婦の人生はどんな風になっていただろうか。

 

嫁は仕事をしていて気が紛れたと振り返る。

同じことをぐるぐる、ぐるぐる考えなくて済むから。

仕事に救われることもあったようだ。

 

ただ、職場の部下に赤ちゃんが産まれた時は羨ましかったと思う。

僕自身、同僚に赤ちゃんが無事に産まれたと聞いた時は、凄いなぁ〜と感心したし、羨ましいとも思った。

もちろん、赤ちゃんを産むことは命がけの行為だと思っているし、これから育てていく大変さもあるとは思う。

僕は同僚の奥さんが、病気を患っていると知っている。

そんな中での妊娠、出産だったから出産予定日の前まで赤ちゃんのことは知らなかった。

それぞれ当事者の苦労はあるとは思う。

だから、決して羨望だけの感情ではない。

 

仕方ない。どうしようもない。そのように割り切るしかないが、やるせない。 

結婚について

結婚する前に考えていたことがある。

 

結婚するってのは、何かを作る行為に似ているのではないかと。

毎日、料理を作ったり、子どもができたなら育てたり。

独身時代なら無頓着でいれることも、他人と生活するのであればそうはいかない。

 

それに対して、付き合っている時は外食に、映画に、プレゼントを貰ったり、送ったり。

基本的に楽しいことばかりだ。

ほとんど場合、お金を払ってサービスを受けているのだから消費活動でお客様。

そう考えると結婚は生産活動に近いのではないかと考えていた。

語弊を招く言い方だが、仕事に近いかもしれないと思っていた。 

 

自分の親や友人が結婚して幸せそうに見えない時がある。

それでも、なぜ僕は結婚したのか?

もちろん、それは幸せになるために結婚した。

 

その考え方にコペルニクス的転回が訪れる。

内田 樹 先生の『困難な結婚』という本に出会ったからだ。

非常に面白い本で、特に考えさせられた一文を紹介したい。

 

率直に申し上げて、ご自身が「健やか」で「富める」ときは別に結婚なんかしなくてもいいんです。その方が可処分所得も多いし、自由気ままに過ごせるし。健康で豊かなら独身の方が楽なんです。

結婚しておいてよかったとしみじみ思うのは「病めるとき」と「貧しきとき」です。結婚というのは、そういう人生の危機を生き延びるための安全保障なんです。結婚は「病気ベース・貧乏ベース」で考えるものです。

目の前にいる人よりももっとましな相手がいるんじゃないか、ここで手を打ったらあとで後悔するんじゃないか……というのは「自分はこんな程度の人間じゃない」という自負の裏返しです。 

内田 樹(2016年)『困難な結婚』株式会社アルテスパブリッシング

 

確かに。「幸せになれる!」と過剰過ぎる期待をかけて結婚すると、少しの不幸でも耐えられないような気がする。

人生で困難が訪れた時に、こんなはずではなかったのに……とひがんでしまう。

 

そうではなくて、結婚の真価が問われるのは困難に直面した時だと考えさせられた。

楽しい時は誰とでも一緒に過ごすことができるが、辛い時に寄り添ってくれる人は少ない。

病気ベース、貧乏ベースで考えるという言葉は非常に重い。

 

人生、山あり、谷あり。

本当の意味で牧師さんの言葉を深く理解するのは長年連れ添った夫婦だと思う。

 

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健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しきときも、

これを愛し、敬い、慰め合い、共に助け合い、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?

掃除のすすめ

僕の母は掃除の出来ない人だった。

家は物で溢れていたし、お世辞にも綺麗な生活環境ではなかった。

 

僕が思うに、部屋が乱雑で散らかっていて、掃除ができない原因の1つに整理ができないからだと睨んでいる。

 

ここで言葉の定義を確認しておきたい。

整理とは、いる物といらない物を区別して、いらない物は捨てること。

整頓とは、いる物を整えること。物の置き場を決めること。

掃除とは、綺麗な状態にすること。

 

家を綺麗な状態に保ちたければ、整理→整頓→掃除の手順を踏むとうまくいく。

僕の家では使わない物を捨てないからどんどん物が増えていき、物があり過ぎて整頓ができない。

整頓できず、カオスな状態では掃除をする気になれないし、掃除しない。

結果、見た目にも、衛生的にもよくないといった状態だった。

 

僕の家は狭いばかりか、汚い家だったと思う。

親父もそんな環境が嫌だっただろうから母と喧嘩することがあった。

聞き耳を立てて聞いていると、「物を捨てろ!」という親父に対して母は「ロマンがない」と返していた。

話から察するに、その物ってのは大量の紙袋だったと推測している。

今、文章にしてみると笑えるような話だが、子供心には両親にあまり喧嘩はして欲しくなかった。

 

僕は掃除ができない母を理解し難いと思っていたが、最近読んだ本でその謎が氷解する一文があったので紹介したい。

 

すべてのモノに「思い出」という過去と、「可能性」という未来が詰まっているんです。

中村シュフ(2015年)『主夫になってはじめてわかった主婦のこと』猿江商會

 

この一文のお陰で、母のことを少しだけ理解できた。

母は絶対そんな使わないであろう紙袋に対して、使うときがくるかもしれないという将来を考えて捨てられなかったのだろう。

また、思い出の品は捨てられないのは納得がいく。

母はその思入れが僕より強いがため、家は物で溢れていたのだろう。

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 【ぴったり収まった時は快感を感じる整頓】

当たり前のすり合わせ

結婚生活って自分の育ってきた生活環境が反映される。

そこで、自分の中に内在化された当たり前に気づかされる瞬間がある。

 

結婚して、嫁の作る料理の品数多さに驚いた。

彼女の家ではそれが、当たり前だったのだろう。

僕の家に比べるとそれは多いものだった。

お互いの当たり前が違う。基準が違う。

彼女の当たり前は、僕にとっては特別なもの。

 

嫁は、休み日は昼近くまで寝て過ごす。

僕は平日も休日もほぼ同じ時間に起きるのが普通だが、僕の母もそうだったから女の人はそういう生き物だと思っている。

 

自分にとっての当たり前は、相手にとって非常識だったり、ストレスになることもあるだろう。

育った生活環境の違い。

男と女という決定的な性別の違い。

 

その“違い”を面白いと思えるか?

そこから新しい価値、生活習慣を作れるか?

それが結婚生活の面白さなのではないだろうか。

 

僕は幼少、青年期をあまりいい環境で育ったとは言えない。

それでも、嫌いだったあの頃の生活が当たり前の基準となっているとは思う。

だから、自分の生活基準を簡単に手放すことができた。

むしろ、捨てたいものだった。結婚は自分を変えるきっかけになりえるものだった。

 

もしかしたら、恩師の言葉の影響もあるかもしれない。

昔、大学の講義で恩師が言っていた。

「結婚生活では、妥協できるところはすべて妥協したらいい」

どういう話の流れでそのような話になったかは一切覚えていない。

講義の内容よりも、そう言った余談が今も頭に残っている。

 

結婚生活は当たり前のぶつかり合いだと思う。

そこから2人の生活をどう作っていくかが結婚するということだと思う。