食欲と幸福論

「結婚して幸せ?」って聞かれることがある。

変わり者の僕が、結婚生活を幸せに過ごしているのか心配してくれる友人たち。

僕も結婚してなかった時は、既婚者の友人に同じ質問をしていた。

結婚して幸せになれると思っていなかったから、そんな質問をしていた。

 

今、僕は幸せだ。

 

そもそも幸せってのは、なんだろうか?

 

幸せを考える際に、満腹感を考えてみる。

 

満腹感を感じているときに、空腹感は感じない。

お腹いっぱいだけど、お腹すいた。そんなことはない。

満腹感と空腹感は両立することない、相反する感覚だ。

 

食欲がある時には、満腹感を感じない。

 

ここで、食欲を欲望と言い換えてみる。

満腹感を幸福と言い換えてみる。

 

欲望がある時には、幸福感を感じない。

欲望と幸福感は両立しないということだろう。

 

欲望は生きるためのエネルギー。

それは行動のためには必要不可欠な原動力なのだけれども、あんまり強すぎると幸せにはなれない。

 

結婚して幸せになって分かったこと。

満たされていて幸せ。欲しい物は特にない。

幸せ過ぎて、ちょっと退屈な感じ。

人間とは本当に欲深い。

幸せを退屈だと思ってしまう自分の感性。

 

ただ、幸せすぎて退屈していた時、仕事で大きなミスをした。

4kgも体重を落とすぐらいボロボロになった。

その時は、精神的にも早く前の日常生活に戻りたいと強く思った。

失うと大きな喪失感があり、守りたいもの。死守したいもの。

そういうのが幸せなんだと僕は思っている。

 

食事は腹八分目がいいと聞く。

それと同じで幸せって、少し満たさられない部分があっていいかもしれない。

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【京都・龍安寺 我唯足知のつくばい】

結婚記念日

今日は結婚記念日だ。

 

今日で結婚2年目。

もう2年経つのか……まだ2年しか経っていないのか……

早いのか、遅いのかよく分からない。

人生が長くて80歳までと考え、あと50回ほど結婚記念日をお祝いすると考えたなら、とても長い年月に感じる。

結婚記念日の美味しい食事が残り50回ほどしか食べられないと考えたのなら、短く感じる。

 

夫婦というのは不思議なもので、今後、離婚しなければ、親よりも長く一緒にいる存在となる可能性がある。

子を生み、育てることを考えると、それは当然のことなのかもしれない。

 

これから死ぬまで、これまで生きてきた以上の時間を嫁と一緒に過ごすことになるかもしれない。

考えると少し恐ろしくもあるのだが、そんな先のことはよく分からない。

これまでの2年間は、旅行で楽しかった思い出や、流産で辛かったこと、内容が思い出せないようなケンカもした。

これからも色んなことがあって、色んな感情が湧いてくると思う。

そして、歳を重ねて容姿や身体機能も落ちてくるだろう。

それでも仲良く、ずっと一緒にいたいと思う。

 

僕らは結婚記念日に、少し贅沢な外食をしてお祝いをする。

僕はその際に、結婚して良かったと伝え、苦労をねぎらい、1年間の出来事を振り返るようにしている。

 

ちなみに、『ホンマでっか!?TV』で “結婚記念日を大事にする派?しない派?” というテーマで各界の評論家が、専門的な知見からどちらの方が良いのかを討論する番組があったので紹介したい。

ホンマでっかで科学的に説明!記念日は大事?意識しない?どっちが得? | 話題のニュースを集めてみました。

 

“セレモニーで縛ることによって夫婦関係が希薄になっていく” という心理学の植木先生の指摘は逆説的で興味深い。

大事にする派の僕にとっては衝撃の事実ではあるのだが、1年に1度の結婚記念日を祝うことは、長く一緒にいるための工夫だと思っていた。

2人で話し合った結果、結婚記念日は外食するようにしたのだが……

 

間違った工夫なのかもしれないが、幸せな家庭を築くには少しの努力とちょっとした工夫は必要不可欠だと思う。

お金の本質

お金に関する投稿が続いている。

少し勉強してみるか! と、探していた時に出会ったのが『感情と勘定の経済学』という本。

タイトルを見て一発で惹かれた。

経済学の本なのだが読んでみると、とても読みやすかった。

 

そもそもお金とは何なのか?経済とは何なのか?

お金の本質が分かる一文があったので紹介したい。

 

私たちが、スーパーで、コンビニエンスストアで、何のためらいもなく買い物をしているのは、実は売り手やメーカーを信頼しているからなのです。おかしい物は売らないだろう、買い手をだますようなことはしないだろう、そうした信頼の上でお金を払っているのです。

そもそもお金というのは不思議な存在です。第四章で述べたような怖さとは別に、単なる金属の丸い板や紙片に過ぎない物質がお金として機能しているのですから。誰もが、それはお金だからと了解してお金をやりとりするのは、この金属や紙片が将来もお金として通用するだろうという期待すなわち信頼があるからです。お金そのものが、完全に信頼の上に成立しているのです。 

友野 典男(2016年)『感情と勘定の経済学』潮出出版社

  

経済の根本的な仕組みとは “信頼” だと考えさせられた。

 

友野氏は社会だけではなく、会社という組織を運営する上でも “信頼” が大切だと説明を続ける。 

会社が人を雇い仕事を任せるのは、「この人であれば任せても大丈夫だろう」と信頼して任せているのだ。

ここに従業員に対して不信感があるのなら管理コストが費やされる。

例えば、監視カメラで従業員の行動を逐一監視しなければならなかったりとか。

ただ、その管理コストは商品の金額に上乗せされるのだから消費者も得をしない。

会社や経済がうまく回っていくには“信頼”がベースにないといけないようだ。

 

真っ当なサービスや商品を提供し、お金を得る。

そうやって働いている人も、生活していくためにお金を使う。

お金を媒介にし、信頼がグルグル回っている。

そのお陰で、僕は豊かに生活できている。

だって、毎日食べている三食の食事。お米に、お肉に、魚や野菜など、僕のお腹を満たしてくれる。これら全てを自前でまかなえる人などいないだろう。

スイッチを入れればつく電気や、蛇口をひねれば出てくる水もそうだ。

移動の時に必要になる車は、誰かが作ってくれたもので、開発で燃費をよくしてくれる人もいるはずだ。燃料は海外から輸入しないと車は走れない。

耳に入ってくる心地いい音も、他の人が音楽として奏でたもの。

また、外出するときも素っ裸というわけにはいかない。

僕が何気なくなく送っている日常生活。

必要なものは誰かの労働によって支えられている。

僕は働かないと生活できないから働いている。

ただ、その労働は誰かの生活を支えている。

そうやってお金や商品、人がグルグル、グルグル回っている。

 

お金の価値自体はインフレやデフレによって変動する。

海外旅行に行く時や、商品を輸出入する時に円高、円安の影響を受けたりする。

お金の価値は変動し、一定ではない。絶対的な価値ではないのだ。

そもそも、お金は紙や金属だ。

お金とは信頼。信頼があるから、ただの紙や金属に絶大な価値が生まれる。

お金とはそういうものらしい。

金銭感覚

身体感覚がスポーツするときに重要なように、生活をしていく上で金銭感覚が重要になってくる。

金銭感覚が合わずに離婚することもあるのだから、お互いの金銭感覚の相性は大切だ。

 

経済学で “留保価格” という概念がある。

留保価格とは、商品に対して払ってもよいと考えている金額のこと。

みんな買い物しているときに無意識に計算している。

例えば、人参の相場はいくら位で、大根ならいくらまで払えるとか。

友達とのお茶ならこのくらいはかかるだろう、自分の服にはこのくらいかけようとか。

日常生活を営んでいると自分の生活レベルに合わせて、ボーダーラインができてくる。

 

その留保価格の感覚がとても高く、それでも生活していける人がセレブと言われる人達なんだろう。

留保価格の感覚が下げられず、それなりに稼ぎがあるにも関わらずお金が貯まらない人は金銭感覚がない人と言うことになる。

 

また、限りのあるお金を “何に” 使うかと言うのも金銭感覚の要素に入るだろう。

例えば、僕が腕時計を購入を検討していたとして、嫁に相談すると……

時間を見るなら携帯で十分と言う価値観と、腕時計は男の嗜みと言う価値観では永遠に交わらない。

逆に、シュチュエーションによってバックを合わせる女性は、オシャレのバリエーションが豊富だが、男の僕にはなぜそんなにたくさんのバックが必要かはよく分からない。

結婚生活が上手くいくか、いかないかはそういう相互理解も含めて、金銭感覚の相性も大切だと思う。

 

つまり、金銭感覚とは “何に、どこまでの金額を出せるのか?” と言うのが金銭感覚になると考えられる。

 

スポーツの身体感覚は一朝一夕では身につかない。

トライ&エラーで失敗しながら少しずつ磨いて、身につけていくものだ。 

同じように、金銭感覚も失敗を繰り返して、その感覚は身につけるものだと思う。

そもそも身体感覚と違い、人間は生まれた時は金銭感覚なんてものは備わっていないのだから、学習し、誰もが自然と身につけていくものだ。

 

億万長者であるのなら欲しい物はすべて買えばいい。

ただ、多くの人にとってお金には限りがあるものだ。

限られた中で、何に、どうお金を使うのかはその人のセンスが出ると思う。 

そのセンスが金銭感覚なのだろう。

パッパラパー

職場に旅好きの先輩がいる。

年配の女性で、よく喋り、ムードメーカー的な存在だ。

 

ただ、人付きが多いから外食も多い。旅行好きということもあって、貯金が出来ないことが彼女の悩みのタネだそうだ。

財形貯蓄を始めたらしいが、その財形貯蓄をおろして遊びに行く始末。

話を聞いていると、昔はお金を借りたりもしていたそうだ。

で、その彼女が言うには「なぜ、そんなことが出来たかと言うと……」

「健康だったから!」

 

まぁ、健康で元気で、真面目に働いていたら人生は案外なんとかなるのかもしれない。

もし、自分が健康を損ない、働けなくなった時のことを想像すると、お金がいくらあっても不安なところはある。

もちろん不安要素は自分だけでなく、勤めている会社の業績だったり、もっと大きな外部環境に目を向ければ日本の財政状況や景気を考えると嫌気がさす。

 

あまり難しいことを考え過ぎず、パッパラパーって踊りだすくらいの元気さ、陽気さが幸せになる一つの条件なのかもしれない。

世の中は金だ!

「世の中、金だ!」

 昔、そんなことを親に言ってとても怒られた。

 

僕は今でもその考え方の半分くらいは正しいとも思っている。

なぜなら、世の中を社会と言い換える。

金を資本主義と言い換えてみると、“世の中は金だ!”って考え方もあながち間違いではないと思う。

“今の社会は資本主義だ!”って言ってることと同じだと思っているから。

 

ただ、その当時の僕は本当に貴重で、大切な価値あるものはお金で買えないってことを知らなかった。

 

「お金で買えるものと買えないもの」(作者不明)

 

お金で「家」は買えるけれど、「家庭」は買えない。

お金で「時計」は買えるけれど、「時間」は買えない。

お金で「ベット」は買えるけれど、「快適な睡眠」は買えない。

お金で「本」は買えるけれど、「知識」は買えない。

お金で「名医」は買えるけれど、「健康」は買えない。

お金で「地位」は買えるけれど、「尊敬」は買えない。

お金で「血」は買えるけれど、「命」は買えない。

お金で「セックス」は買えるけれど、「愛」は買えない。

 

マダム・ホー(2008)『世界一愚かなお金持ち、日本人』ディスカヴァー・トゥエンティワン

 

ベットは買えるけど、快適な睡眠は買えないって文章は痛快だ。

僕は昔、不眠症気味におちいったことがある。

眠たいのに、寝れない。

疲れてるのに、寝付けない。

寝てもすぐに目が覚める。

快適な睡眠環境を整えるためにベットはお金を出して買うことができるのだが、眠ることなできない。

ぐっすり眠れること、そんな当り前のことが、どれほど幸せなことか。

当り前過ぎて、失ってからしか気付けなかった。

 

世の中、希少な物が貴重だと思われがちで、希少なのだから貴重であることは間違いないのだけれども、希少の対義語の “普通” には価値がないかと言われば全然そんなことない。

 

お金は大切だし、いらないって人はいないと思うけど、本当に貴重で、大切な価値あるものはお金では買えない。

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【旅先で見た夕凪】

金は天下の回りもの、して天下の起源とは?

中国ではじめて中華統一を果たしたのは秦。

その秦統一までを描いている『キングダム』という漫画がある。

大人気漫画であるから知っている人も多いと思う。

その漫画にとても面白い “お金” に関する洞察があったので紹介したい。 

 

漫画では、のちに秦の始皇帝となる嬴政(えいせい)と、嬴政の最大の敵の呂不韋(りょふい)との討論の場面がある。 

呂不韋は元は商人でありながら、一国の相国(しょうこく:現代で言えば首相のようなもの)まで上り詰め、大王の嬴政の地位までも脅かす存在であった。

現に実質的には、政治は呂不韋が動かしていた。

そればかりか呂不韋は裏で糸を引き反乱、嬴政の暗殺を企てたりと様々なことがあったのだが、いよいよ因縁の対決も大詰めの場面で2人が “天下” に関して討論するシーンがある。

 

 “貨幣制度”が“天下”を作った

“金”が人の“欲”を増幅させたからです

人の欲…

千年以上前「商」の時代とも言われますが

貨幣制度の誕生で 物々交換であった それまでの世界は一変した

運搬し易く 腐らぬ貨幣は 物流に“距離”を与え

散在にしていた社会を 次々とつなげ広げていった

しかし 金のもたらした最大の発見は別の所にありました

裕福の尺度

あいつは“金”をいくら持っているのか

人は他人との裕福度の比較をする物差しを手にしてしまったのです

当然 生まれたのは“他より多くを得たい”という強烈な我欲

それから千年 物々交換の範囲で生きていた人々の世は

中華という広大で複雑な世界へとまで進化した

とどまることを知らず 成長し続ける我欲の応酬がなした業です

そして人は“天下”という言葉を口にしだした

かつての世は“天”の恩恵にあずかる世界

“下”はあまねく天に支配されるものであった

ーーが天の下が中華となりそれは

人間がその手で支配できるものではと思わせるものへと変わった

ハッハ

天も驚きでしょう

人が“金”を手にしただけでここまで増長・進化をとげるとは 

 

原 泰久(2015)『キングダム 39巻』集英社

 

人は食べないと生きてはいけない。

僕が物々交換でまずイメージするのは食べ物だが、 元手となる農業、狩猟では天候や運に左右される部分が多い。

そうなると天を崇め、祈る形をとるのは自然の流れ。

 

ただ、物々交換からお金を介在させた交換作業に変わっただけのことだが、利便性、貯蓄性、尺度が加わった。

お金は食べ物と違い腐ることがなく、保存ができる。

保存できるから貧富の差が生まれる。

貧富の差から羨望のような欲が底なしに湧いてくる。

それでも便利だから、お金を使用することは定着していく。

貨幣制度が定着していくと、食べ物を買うのもお金がなければ出来ないのが当り前となってくる。

いつしか、結局はお金が全てだーー

という帰結になり、いつしかお金が神のように崇められる。

 

“天下”  確かにこの言葉には、天を人が支配できるものというニュアンスがあるようにも思えてくる。

それを生み出したのは、お金だという洞察が面白い。

春秋戦国時代は資本主義は生まれてなかったのだが、この台詞は今の時代に生きる僕らにこそ身に迫るものがある。

 

 

呂不韋は言葉巧みに武力で中華統一を目指す嬴政をとがめ、商人出身の自分なら秦国を

中華一の経済大国にし統治してみせると豪語する。

そちらの方が武力と違い血も流さず、民を幸せになれると畳み掛ける。

 

キングダムは熱くて、最高に面白い漫画だ。

嬴政がどのように呂不韋を論破するのかは、実際に漫画を読んで確認して欲しい。